

まつやまを考える会(第15回)講話要旨
2010年12月15日(水) 会場 松山全日空ホテル
伊予松山の老人力
講師 今井琉璃男(愛媛新聞社相談役)
私はいま、日野原重明(明治44年生まれ)先生の「新老人の会」の愛媛支部の代表世話人として、毎月フォーラムを開いている。伊予松山の老人力に限るとやや話しにくいが、この老人力というのは、年を取ってなにかできるというのではなく、少年・青年・壮年・老年と理想的な形で積み重ねてきた力こそが老人力である。「論語」をひもとけば、孔子は齢40から50になれば相談に乗れる人になれ、と訓えている。また古希をこえて矩をこえず、と述懐している。そして高齢化社会の今日、齢80になれば、70のことをそのままのばせばよい、と諭したのは陽明学者の安岡正篤(明治31年~昭和58年)である。安岡は在野の教師として戦前戦後の政財界に大きな影響を与えたが、私は東京支社長時代に安岡先生に直接お会いし教えを受ける機会をもった。安岡先生からも齢40、50代になれば、人に相談される人間になれ、と訓えられた。
さて、本日のテーマに即し、私がこれまでお会いした伊予松山の高齢者についてお話したい。まず、正岡子規の親友だった柳原極堂(慶応3年~昭和32年)である。極堂が明治30年に松山で創刊した俳誌「ホトトギス」は今日まで脈々と続いているが、昭和28年、私は第1回愛媛新聞賞を受賞された極堂先生にお会いした。この時、息子の私に「琉璃男」という名前をつけた日本画家の父のことが話題になった。日本画家でなければ思いつかない名前だというのであった。次に子規の後継者となった高浜虚子(明治7年~昭和34年)のことだが、虚子は松山に帰ると久松邸をよく訪ねていた。昭和30年、久松定武(明治32年~平成7年)知事が2期目の選挙に立候補したとき、苦戦が予想されると、虚子は「ふるさとの この松きるな 竹きるな」と俳句に詠んだ。文字通りの選挙運動である。また、私は久松知事とはいろいろなところで御一緒したが、宴会でもピシッと背筋を伸ばし、最後まで正坐をしたままである。晩年でも決して姿勢を崩さなかった。世界的なベストセラーになった『肉弾』の著者桜井忠温(明治12年~昭和40年)さんは晩年、菅井病院に入院していた。私はたびたびお見舞いにゆき、二○三高地での戦闘と部隊全滅の話をうかがった。このおりに、画家でもある忠温さんから日本海海戦の連合艦隊旗艦「三笠」を描いた絵をいただいた。いつも物静かに想いにふけっておられる姿が印象にのこっている。
以上の人たちが伊予松山の老人力の筆頭であるが、出身が松山以外で、いまも強い印象が残っている人をあげると新幹線の生みの親である十河信二(明治17年~昭和56年・
これらの人々に共通している思考や行動の原則は、①自己練磨・自己陶冶・修身において厳格 ②公共に尽くす精神が卓抜 ③忠恕の精神 ④情と理でいうと情の性格 ⑤四方太の精神 の5点を指摘することができよう。
老人力は自分のためにあるとともに他を利するものであり、若者力にも壮年力にも関係している。国家や自治体の健全な発達にも欠かせないものだ。 (文責・青山淳平)













































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