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伊予松山の老人力

2010/12/16 17:35

 

 

 

 

 

 

まつやまを考える会(第15回)講話要旨

2010年12月15日(水) 会場 松山全日空ホテル

 

伊予松山の老人力

講師 今井琉璃男愛媛新聞社相談役)

 

 私はいま、日野原重明(明治44年生まれ)先生の「新老人の会」の愛媛支部の代表世話人として、毎月フォーラムを開いている。伊予松山の老人力に限るとやや話しにくいが、この老人力というのは、年を取ってなにかできるというのではなく、少年・青年・壮年・老年と理想的な形で積み重ねてきた力こそが老人力である。「論語」をひもとけば、孔子は齢40から50になれば相談に乗れる人になれ、と(おし)えている。また古希をこえて(のり)をこえず、と述懐している。そして高齢化社会の今日、齢80になれば、70のことをそのままのばせばよい、諭したのは陽明学者の安岡正篤(まさひろ)(明治31年~昭和58年)である。安岡は在野の教師として戦前戦後の政財界に大きな影響を与えたが、私は東京支社長時代に安岡先生に直接お会いし教えを受ける機会をもった。安岡先生からも齢40、50代になれば、人に相談される人間になれ、と訓えられた。

 さて、本日のテーマに即し、私がこれまでお会いした伊予松山の高齢者についてお話したい。まず、正岡子規の親友だった柳原極堂(慶応3年~昭和32年)である。極堂が明治30年に松山で創刊した俳誌「ホトトギス」は今日まで脈々と続いているが、昭和28年、私は第1回愛媛新聞賞を受賞された極堂先生にお会いした。この時、息子の私に「琉璃男」という名前をつけた日本画家の父のことが話題になった。日本画家でなければ思いつかない名前だというのであった。次に子規の後継者となった高浜虚子(明治7年~昭和34年)のことだが、虚子は松山に帰ると久松邸をよく訪ねていた。昭和30年、久松定武(明治32年~平成7年)知事が2期目の選挙に立候補したとき、苦戦が予想されると、虚子は「ふるさとの この松きるな 竹きるな」と俳句に詠んだ。文字通りの選挙運動である。また、私は久松知事とはいろいろなところで御一緒したが、宴会でもピシッと背筋を伸ばし、最後まで正坐をしたままである。晩年でも決して姿勢を崩さなかった。世界的なベストセラーになった『肉弾』の著者桜井(ただ)(よし)(明治12年~昭和40年)さんは晩年、菅井病院に入院していた。私はたびたびお見舞いにゆき、二○三高地での戦闘と部隊全滅の話をうかがった。このおりに、画家でもある忠温さんから日本海海戦の連合艦隊旗艦「三笠」を描いた絵をいただいた。いつも物静かに想いにふけっておられる姿が印象にのこっている。

以上の人たちが伊予松山の老人力の筆頭であるが、出身が松山以外で、いまも強い印象が残っている人をあげると新幹線の生みの親である十河信二(明治17年~昭和56年・新居浜市さんや、岸信介と一高・東大と同級で初代総理府総務長官になった政治家の今松治郎(明治31年~昭和42年・宇和島市さん、それに身体全体からオーラが出ていた笹川良一(明治32年~平成7年)氏が思い出される。また先にお話しした人の他にも、これまで私が直接お会いした伊予松山の老人力では新田仲太郎、岡本馬太郎、中村草田男、菅井久隆、砂田重政、菅野和太郎、薬師神岩太郎、白石春樹、井川伊勢吉、末光千代太郎、武智鼎、大野盛直、星野通、坪内寿夫、渡部七郎、平田陽一郎の諸先輩各氏をあげることができる。

 これらの人々に共通している思考や行動の原則は、①自己練磨・自己陶冶・修身において厳格 ②公共に尽くす精神が卓抜 ③忠恕の精神 ④情と理でいうと情の性格 ⑤四方(よも)()の精神 の5点を指摘することができよう。

老人力は自分のためにあるとともに他を利するものであり、若者力にも壮年力にも関係している。国家や自治体の健全な発達にも欠かせないものだ。               (文責・青山淳平)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第14回例会講話要旨

2010/12/10 16:47

 

 

いろは丸事件について、語る鈴木邦裕先生 

 

 

 

 

 

 竜馬の実像について数々の史料をもとに解き明かす

 

 

 

 

まつやまを考える会(第14回)講話要旨

2010年10月2日(土)

会場 いよてつ会館

いろは丸事件と竜馬がゆく

講師 鈴木邦裕(海事補佐人)

 

 いろは丸事件は、慶応三年4月23日の深夜のことである。紀州藩所有の蒸気船「明光丸」と坂本竜馬が大洲藩から借り受けていた蒸気船「いろは丸」が瀬戸内海備後灘東口六島付近で衝突し、いろは丸は沈没した。

この事件の考察に際し、まず竜馬について、史実から離れ、面白くするための根拠の希薄な講談話が数多くあることを指摘しておく。例えば竜馬の暗殺は、役人殺害犯である竜馬を京の見回組の今井信郎らが殺害した、というのが史実だが、暗殺の黒幕が後藤象二郎、西郷、大久保、木戸など、さらには大洲藩まであるのは荒唐無稽なこじつけである。また、「船中八策」についても竜馬の考えたものではなく、高知の町医者の長岡謙吉が原案を作成したものである。

さて、いろは丸事件については、次の文献がある。「南紀徳川史」巻三十三の項、「維新土佐勤王史」、「坂本龍馬海援隊始末」(平尾道雄)、「伊呂波丸売買契約書」、「大洲藩史料」天の巻(藩主加藤家所蔵)の「汽船及風帆船買入之手続の項」、「伊呂波丸終始顛末」(豊川渉)、「井上将策の記録」。

これらの文献をもとに、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』との矛盾点をあげると、「大洲藩は竜馬の勧めで伊呂波丸を購入した」、「伊呂波丸の船名は竜馬が命名した」、「竜馬が船長だった」、「竜馬ら土州側が萬国公法に実務的知識をもっていた」、「伊呂波丸に鉄砲・弾薬を多く積んでいた」などなど18点にものぼる。実際はどうだったのであろうか。両船の運動からみた衝突状況を検証し、事実を認定してみる。

 衝突は舷燈を表示してなかった伊呂波丸が明光丸を避航すべきところ、見張りを怠っていたため、回避動作が遅れ、かつ衝突を回避すべき方向を誤って左転、明光丸の前路に進出して衝突した。従って責任は伊呂波丸側が負わなければならない。この事件は、明光丸有利で解決されるべきところ、声の大きな土州側が勝つという誠にバカバカしい結末になった。竜馬たちは、海援隊が長州藩の騎兵隊と組んで和歌山を襲撃するなどといった噂を流したり、長崎丸山の遊郭で女郎の腹上で遊びながら「金をとらずに国をとる」と遊女に唄わせるなど、出来もしないたわけた世論操作をした。

 竜馬のおかげで一番得をしたのは大洲藩だ。一万両で買った船が、紀州藩の賠償金で四万両余になった。俗にいう焼け太りである。しかし賠償金を全額、土州が大洲藩に払ったとはとても考えにくい。大洲藩に一万両余払った残りは後藤象二郎や岩崎弥太郎が懐にした、と推測するのが当を得ていて面白い。また海援隊は土州から賞金一万五千両余の分配を受けており、多いに得をした。積んでもなかった鉄砲弾薬の代金や、詐欺師顔負けに膨らませた伊呂波丸の船価を支払わされた紀州藩が一番バカをみたのである。大洲藩、海援隊への支払いを除く残金一万二千百五十両はだれの懐にはいったのだろうか。

 竜馬が経営の才能がなかったことは諸々の事実から明らかである。また亀山社中や海援隊の者たちは船舶の運航に習熟していなかった。これは竜馬ら指導者の教育訓練が不十分であったことに原因がある。竜馬は後の岩崎弥太郎が成し遂げたような荘大な事業を夢見ていたのであろうが、遺憾ながら知識と経験、それに人材が不足で、事業は完全な失敗だった。            (文責 青山淳平)

 

 

鈴木邦裕先生の御著書案内

 

   『いろは丸事件と竜馬』

        海文社)2010年12月発行

   いろは丸事件の真相を読み解く最高の一冊です。

 

 

 

渡部代表の挨拶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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地域に生きる劇場-まつやまを考える会(第13回)講話要旨

2010/10/02 15:02

 

 

 

 

 

まつやまを考える会(第13回)講話要旨

2010年8月7日(土)

会場 いよてつ会館

 

地域に生きる劇場

 

講師 山川龍巳(坊ちゃん劇場支配人)

 

 坊ちゃん劇場は開設5周年、いま愛媛の宝になりそうな期待感がある。劇場文化は東京や大阪でないと成功しないといわれてきたが、第4作目のミュージカル「鶴姫伝説」は一年間のロングランで、たくさんのお客さんを迎えることができた。劇団四季からも視察があったが、人口3万6千の地方都市でも成り立つ劇場コンセプトは、教育、観光、文化の3つである。この3つが一体となって、文化としての地域主権を確立してゆくことが、地域に生きる劇場の使命である。この劇場をつくった宮内政三会長は戦後、戦争体験に根ざした真摯な生き方を貫いてきた人である。戦後60年、夢や希望だけではメシは食えないが、また夢や希望なしでは生きられない。宮内会長は殺伐としてゆく現代日本の現状を憂い、日本の行く末をみつめ、夢と生活が一緒になった文化事業として、坊ちゃん劇場をつくった。

  

 私たちは生涯をかけて、生活をこえた何かを求めて生きている。坊ちゃん劇場はこの基本的な問いかけに世代を超え、老若男女をとわず地域を題材にしたミュージカルでこたえていこうとしている。「わが輩は狸である~四国たぬきのロミ・ジュリ物語」の舞台は、6千名の松山の少年少女が観劇し、「ライブの力はすごい(中村市長)」と驚きの声があがるほど、教育的な成果をあげた。この劇を観た少女が、3年ぶりに母親に笑顔をみせ、母はなぜ父に恋をするようになったのか、と問いかけ、以後、家族みんなが笑い会える仲にもどった。ライブ劇が少女を変えたのである。文化芸術と教育にはこのような接点がある。また、社員教育に演劇的要素をとりいれたプログラムをつくろう、という話も頂いている。感動を語れる人、商品の価値に誇りをもっている人しか商品は売れない。役者はうそ事を演じているのではなく、真実を演じている。その真実のすがたに子供は感動する。社員教育にも演技指導やコミュニケーション能力を養うプログラムが求められている。

 

 すぐれた文化力は観光資源である。みんな素晴らしい人と出会い、感動したい。劇場文化の果たす役割はこれからの社会に新しいコミュニティをつくることだ。新しい出会いの場をどのようにつくってきたか。第1作目のミュージカル「坊ちゃん」では、東京で274回公演をし、6万6千人の観客を動員した。第3作目のミュージカル「龍馬!」は、高知の政財界人に大きな賛同の支援を得た。尾崎正道知事からこの舞台を高知へもってきて欲しいといわれた。準備のため高知へ行き、高知の若者が龍馬を知らず、高知の伝統文化に関心がない、という話をしたら、商工会議所で1万人の高知の子どもに観みせたいということになり、無料バスを37台だしてくれることになった。第4作目ミュージカル「鶴姫伝説」は広島の財界人が大変感動してくれて、支援を頂けた。この舞台は圧倒的な評価を得て、いろいろな意見もたくさん頂いた。今治商工会議所では1千枚のチケットを購入してくれた。

 

世界的な画家である智内兄助は、自分のアイデンティティをもっていないと世界では戦えないといっている。坊ちゃん劇場はまだ決して軌道に乗っていない。地域の教育・観光・文化事業の発信地としてこれからも一層精進してゆくつもりである。                (文責 青山淳平)

 

 

 

 

 

 

 

 

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近藤俊文先生講演と尺八・箏演奏会

2010/07/19 06:17

 

講演される近藤俊文市立宇和島病院名誉院長

 

 

 

 

 

 

まつやまを考える会(第12回)講話要旨

2010年6月5日(土)

会場 松山全日空ホテル

 

村井保固(やすかた)~青春の松山

 

講師 近藤俊文(市立宇和島病院名誉院長)

 

 鳥羽伏見の戦いで朝敵となった松山は、維新政府にとって油断のならない県であった。そこで明治七年に岩村高俊(たかとし)権令(ごんれい)としておくりこむ。土佐藩士だった高俊は佐賀の乱の首謀者・江藤(えとう)新平(しんぺい)を成敗した自由民権論者でもある。高俊は自由民権思想を一手段として愛媛県を治めようとした。明治九年、 松山に新聞社をつくり(今日の愛媛新聞)、また末広(てっ)(ちょう)に相談して、松山英学所(松山中学の前身)の校長慶応義塾の草間(くさま)(とき)(よし)をまねいた。草間校長は新聞に寄稿した政府批判の記事がたたって、警察に捕まるが、高俊は首にはせず、釈放が早まるように工作をする。高俊は民権思想を愛媛に広めるねらいがあり、郡会、市会、県会といった地方議会愛媛につくった。そしてこのころ、県の学務課長には民権に理解く洒脱な内藤(めい)(せつ)(後の子規門下の俳人)がいた。高俊、時福、鳴雪ともども意気が合い、松山で学ぶ志の高い青年たちの教育に貢献した。

 明治草創期の貿易商森村組に入り、開国日本の商社マンのさきがけとして活躍した村井保固は、この時代の松山英学所で学び、慶応義塾で福沢諭吉の愛弟子になった伊予吉田町の三傑(他に山下亀三郎、清家吉次郎)の一人である。保固は安政元年九月、吉田藩御船手の林家に生まれ、明治二年、十六歳のとき村井家に養子にはいる。藩校だった時観堂から宇和島の不棄(ふき)学校(宇和島中学の前身)、それから広島の英語学校をへて、草間が校長をしていた松山英学所に上等生として転校し、同時に下級生の教師役も務めた。草間は学生たちをあつめ討論会をよくひらいた。JS=ミルの書物などをもとに学生たちは盛んに討論をし、高俊や鳴雪もたびたび見学に訪れたりした。

政府批判で草間が獄舎につながれると、校長代理として三輪粛斎という青年がやってきた。ともに独身の保固と粛斎は気が緩み、秘かに道後の遊郭で毎日のように遊ぶようになった。保固は村井家の金禄公債(七百五十円)を売り飛ばし、遊蕩にいれあげてしまった。養母(みつ)の慈愛で赦され、英学所に復学した保固は明治十年、上京して慶応義塾で学ぶことになる。金のない保固は、上京の前に高俊に談判し、学費が不足したときの支援をとりつける。高俊は英学所の弁論大会で保固のことをよく知っていた。一方、草間時福は明治十二年に帰京したので、後任に西河(つう)(てつ)が松山中学の校長になった。翌明治十三年、岩村高俊も東京に帰った。後任の県令は誠に保守的な人物だったため、西河は松山中学を辞して、海南新聞の経営にのりだす。明治十三年に松山中学にはいった正岡子規も、また翌年に入学した秋山真之も松山中学に魅力を感じることができなくなり、上京することになる。

村井保固が学び暮らしたころの松山は、民権県令である岩村高俊の治世の魅力が色濃くあったのであろう。不平士族の反乱が相次いだこの時代、とりわけ明治十年の西南戦争へとむかう時代は、宇和島でも騒乱の可能性はあった。このようななか、高俊は民権思想で民心を治めることに成功している。

事業家として大成功した保固は後年、アメリカから帰国すると、京都に隠居した高俊を必ず訪ね、終生支援を惜しまなかった、と伝えられている。              (文責 青山淳平)

 

 

 

 

  

今回の「まつやまを考える会」では、今、人気急上昇中の、尺八演奏者 中村仁樹さんと箏演奏者の柿木原こうさんを特別にお招きし、古典からポップスなどの尺八と箏のコラボレーション演奏を聴くことができました。

 

 

 

尺八演奏者 中村仁樹さん

 

 

箏演奏者 柿木原こうさん

 

 

演奏後、おおきな拍手が・・・すばらしい演奏に、みなさん感激しました。

 

 

 

  

 

中村さんは、宇和島市出身。

尺八のこれまでの概念を覆す、現代風なアレンジを取り入れた、全く素晴らしい演奏会でした。

 

CDも発売されていますので、ぜひ、お聴きください。今後の活躍を応援したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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白くまピースの育て親・砥部動物園高市さん

2010/05/05 06:34

 

県立とべ動物園飼育員・高市敦広さん 

 

 

 

 

今回は、愛媛県県立とべ動物園飼育員の高市敦広さんを講師にお招きし、生誕10年を迎えた白くまピースのお話しを伺いました。

 

世界的にも初めての例と言われている北極熊の人工保育を成功された高市さん。

 

エピソードや苦労話、また内緒のお話等、たいへん興味深い物語で感動また感動。

 

高市さんの動物に対する熱い思いを知ることができ、とても有意義な講演会でした。

  

なお、とべ動物園の公式HPに、白熊ピースの育成日記のコーナーがありますので、こちらもぜひご覧ください。

http://www.tobezoo.com/shiiku/peace/index.htm 

 

 

 

 

まつやまを考える会(第11回)講話要旨

2010年4月3日(土)

会場 いよてつ会館

 

ピース生誕10年!

講師 高市敦広(県立とべ動物園飼育員)

 

 1999122日にピースは生まれた。母親のバリーバの懐妊はわかっていたが、赤ちゃんは600~700gなので、臨月が近づいても人間のようにお腹が大きくなることはない。この日、私は休日だったし、もともとバリーバの飼育にかかわっていなかったので、「ホッキョクグマが赤ちゃんを生んだ」という電話に驚いた。昼食をとりやめ、動物園まで15キロの道のりを神に無事を祈りながら車をとばした。

 

生まれたのは二頭で、一頭はこと切れ、もう一頭、すなわちピースは出産して気が荒くなった母親からとりあげられ保育器にはいっていた。いまさら母親のもとへもどすことはできず、私が飼育することになった。前例はなくどうしたらよいか、まったくわからなかったが、「何が何でも育ててやる!」と決意し、方針を2つたてた。1つは絶対にあきらめない。2つに飼育計画をたてない。したがってピースの様子をじっと見て、そのつど何が必要か判断することにした。

 

この日から自宅につれて帰った。県営住宅なのでペットは飼えない。小3の娘、幼稚園の息子、それに妻をすわらせ、赤ちゃんのピースに絶対さわらないこと、それにピースがいることはだれにも内緒にすることを約束させた。ピースをつれて動物園へ出勤し、また自宅につれて帰る日が三カ月つづいた。動物園でも自宅でも私はひとときもピースから離れなかったが、離乳食などもすこしずつ食べさせ、動物園において帰る準備もした。そして110日目、ピースを動物園において、ひとりで帰宅することにした。決心したまでは平気だったが、ふりかえると、ピースはじっと私を待っていた。クマ舎から出ると、ぽろぽろ涙がこぼれおちた。110日間、園内の仕事以外にピースのそばを離れたことはなく、ふりかえれば誠に濃密な関係になっていた。翌日も動物園において帰った。妻がどうしても気になるというので、二人で夜の8時過ぎにみにゆくと、ピースはクマ舎のいつものところで私をじっと待っていた。私を呼び続ける声はすっかり嗄れていた。ピースはストレスでダメになるのではと心配したが、育ってくれた。

 

皆さんに褒めてもらうこともあるが、私はピースに育てられた10年間だった。ピースはわが子に近い存在だが、また恋人であり母親のような存在でもあり、いつも癒され心が洗われる。動物園にはたくさんの動物がいるが、すべて人間の都合で限られた生活を余議なくされている。だから私は人間の代表として動物に最高のお世話をする義務があると思っている。例えば「展示」という言葉だが、ピースが癲癇(てんかん)発作をおこしたため、檻に幕をおろしていたら、「ピースは体調不良で展示できないって、なんだかモノみたいね」と母が娘にいうのが聞こえた。間違いを訓えられ、私は顔が真っ赤になった。動物は陳列展示するものではなかった。そのことに気づかされた。

 

ピースはピチピチギャルを過ぎた年頃である。癲癇が治れば結婚させたい。ピース効果についていえば、事務所サイドはピースグッズに関心が高いが、私はピースにしか関心はない。またバリーバが子育てを放棄したことは、バリーバの責任ではない。北極クマは完全に安心できる場所でないと子育てはしない。だから責任は人間のほうにある。                               

(文責 青山淳平)

 

 

 

高市さんの講演前約30分間、NHK放送で放映された、白くまピースの保育物語がスクリーンで紹介されました。

 

 

 

 

ミルクをおいしそうに飲むピースちゃん。最初はピースが下痢をしたりで、ミルクづくりも試行錯誤だったそうです。 

 

 

足にじゃれつくピース。 

 

 

 

 

 

ついて回るピース。 

 

 

まるでぬいぐるみのような、かわいいピースですね。 

 

 

 5歳をむかえたピース。高市さんに甘えています。 

 

 

 

 

今回は「まつやまを考える会」会員54名が熱心に高市さんの話を聴きました。

 

 

 

 

<次回「まつやまを考える会」のお知らせ>

 

 

第12回定例会ご案内←クリック 

 

 

平成22年6月5日(土)

全日空ホテル本館4階ダイヤモンドルーム

 

大勢のご参加をお待ちしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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巨大国債のゆくえ-まつやまを考える会第10回講話-

2010/03/13 19:15

 

講演する小淵 港 愛媛大学法文学部教授 

 

 

 

まつやまを考える会(第10回)講話要旨

2010年2月6日(土)

会場 いよてつ会館

 

 

巨大国債のゆくえ

 

        講師 小淵 港(愛媛大学法文学部教授)

 

 わが国の長期債務残高(地方債含む)は816兆円でGDP169%、また09年度税収の実に13年分に相当する大規模な額になっている。いま10年度予算案が国会で審議されているが、税収37.4兆円(見積り)に対して国債発行額は44.3兆円となり、戦後初めて税収が国債発行額を下回るという異常な事態をむかえることになる。

 

 「日本経済新聞」は、個人金融資産で国債を消化できなくなる日も近く、いずれ外国(政府・企業・個人)への販売か日銀引き受けか、政府は選択を迫られることになる。そして財政健全化と経済成長なしにはインフレと財政悪化懸念が高まり、長期金利も急騰して日本経済は深刻な事態におちいることになるだろうと警鐘を鳴らす。「アエラ」も論調は同じである。日本の財政崩壊は不可避で、国債価格の暴落とインフレは必至、とする米国の投資家の予想を紹介している。

 

 こうした悲観論に対して三橋貴明氏は『高校生でもわかる日本経済のすごさ』のなかで楽観論を展開し、財政赤字を心配しなくてよい理由を5点あげている。

①政府の借金は国民の資産。

②日本の国際の金利は世界一低い。

③政府は国民とちがって永遠につづくから借金完済の必要はない。

④中央銀行による国債の買い取りが可能。

⑤日本の国債はすべて自国通貨建てなので返済ができなくなることはない。

 

 これに対して小塩隆士氏は『高校生のための経済学入門』において以下4点の理由をあげ懸念を表明している。

①家計の赤字と基本は同じで財政赤字は望ましくない。

②財政赤字の負担のために、国民に対する必要なサービスができなくなり、サービスをしようとすれば借金がふくらむ。

③徴税権があるので、返済に必要な資金は税金で調達され、財政赤字に歯止めがかかりにくい。

④財政赤字は将来世代への赤字の先送りである。

 

 巨大国債の問題はこの先どのようになるのであろうか。検討すべき課題を次に述べたみたい。

 

まず、プライマリーバランス(基礎的財政収支PB、その時の税金で必要な経費をまかなう)を2010年度予算案でみてみると次の通りである。

 

 税収等=92 2992億円― 443030億円(国債収入)=479962億円。一般歳出等=922992億円―206491億円(国債費)=716501億円。一般歳出から税収等を差し引くと236539億円のプライマリーバランスの赤字が生じている。

 

 個人の純資産は一千兆円といわれ、余裕があるようでもあるが、相当に慎重な財政運営がもとめられる。一例として、社会保障費を2分の1に減少させ、公共事業費をすべて削減し、防衛費もカットすればちょうど23兆円に達するが、現実にこれはできない。

 

 PBの短期間での黒字化は困難で計画的に赤字増大を抑制しなければならない。また歳出の抑制や課税の適正化・公平化が必要だ。とくに所得税と法人税の見直しはぜひ必要である。

 

 1989年の消費税導入を機に所得税と法人税の減税がはじまり、1997年には消費税を5%に引き上げた。この増税の影響で景気が逆戻りした。くわえて過去20年間、所得税と法人税の減税はさらにすすみ、税収減にともなう財政悪化を招いた。

 

 この先、消費税を大幅に増税すれば、国債をもたざる人の税金で、国債保有者への利払いをつづけるという不平等をうむことになる。 (文責・青山淳平)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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地域主権と松山  中村時広(松山市長)

2010/01/31 18:04

 

 

第9回まつやまを考える会で講話をされる中村時広・松山市長

 

 

 

 

 

 

まつやまを考える会第9回講話要旨

 

2009年12月18日(金)

全日空ホテル4F桃園大広間

 

 

 地域主権と松山

 中村時広(松山市長)

 

 戦後、荒廃した国土の再興には中央集権がよかった。確かに全国あまねく、四国も中央の支配下で社会基盤が整備された。しかし中央と地方のこの関係は「3割自治」という実態を生み定着させた。今日、この関係を見直さないと地方の発展はない。その主要な理由は2点ある。その1つは、すべて国の基準に従った町づくりがなされてきたため、日本中の町が金太郎飴のようになってしまった。本来、町づくりの原点はその地方独自の歴史、文化、伝統をいかすことにある。中央集権はこの足枷になっているのだ。もう1つは国の財政事情である。現在、地方を合わせ国債発行残高は850兆円である。このままだとやがて国債の大暴落をきたす懼れがある。わたしたちの国はいま統治の仕組みそのものを変えていかないとやっていけないのだ。

 

 地方も中央依存ではなく、政策立案型行政への脱却が必要となった。このため、従来型と立案型に地方はいま2極化している。松山市はいち早く立案型の都市づくりを推進してきた。財政では中四国93市のなかで健全度第2位(1位は発光ダイオードの阿南市)であり、財政調整基金では140億円と(高知2、徳島18億円)と抜群の健全度を保っている。三位一体の改革について総括すれば、これは借金の国から地方へのつけかえという結果をもたらしている。いま、夕張市につぐ破産寸前の自治体はたくさんある。松山市はどうか。年間80億円収入が減った。議員定数の削減、市町村合併の推進などの努力で不足分を内部吸収した。国には借金の押し付けでなく、地方と同様の努力を求めたい。

 

何もかも国の基準を押しつけるのでは分権は進まない。例をあげる。みかんの消費拡大のため学校給食に使おうとしたら、3回以上水洗いせよ、と国から待ったがかかった。「坊っちゃん列車」の復活も軌道や乗務員数で認可に手間取った。耐用年数を終え空いた学校を保健所に転用しようとすると、階段の高さが規定よりわずかに上回っているので認められないといってきた。もっとのりしろ(政策の柔軟性)があってよいのではないか。国が管理・規制し、なにもかもやろうというシステムになっていることは問題だ。

 

首長連合が声をあげないと地方分権は進まない。4名の主張で分権に関し、インパクトのある声をあげた。衆議院選挙前に各政党の政策支持の発表をやった。すさましいプレッシャーがあった。ある政党は地方分権を政策立案過程にいれることを約束したが、通常国会で実現するかどうか、注目している。いずれにしろ、いま行政と議会は大きく変わりつつある。行政は国と地方で対等の役割を担おうとしている。また議会には中央のしがらみのない地域政党が生まれてくる必要がある。そして首長は今後ますますビジョン、政策立案能力、行財政へのチェック能力が問われるようになっている。

                             (文責 青山淳平)

 

 

 

 

 

 

 

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未来投資-まつやまを考える会(第8回)卓話-

2009/12/29 15:40

 

           永江孝子 衆議院議員

 

 

まつやまを考える会(第8回)卓話要旨

2009年11月7日(土)

会場 いよてつ会館

 

未来投資       

講師 永江孝子(会員・衆議院議員)

 

 子育て支援について話したい。私自身が2人の子どもを放送局に勤務しながら育てた、という経験と苦労があるからだ。

 

私の場合、子育てについては、国は何の支援もしてくれない、という思いが残っている。それで、いまの日本はどうか。28年連続で子どもの数が減少している現実がある。合計特殊出生率を国別でみると、日本1.37 アメリカ2.12 フランス1.98イギリス1.84である。団塊ジュニアの出産年齢の最後の年にあたる昨年は、少しもどしてきているが、少子化は深刻である。

 

いっぽう高齢者は今後20年で1.4倍に増える。このままでは、医療・介護・年金など私たちの安心な暮らしを支える制度が危うくなる。少子化対策の効果は20年かかるから、時間的な余裕はないのだが、日本が子育て支援に使う予算はOECD加盟国の中で最低である。

 

なぜ、子どもが減ったのか。すぐ2つの理由がうかぶ。1つは子どもを望まない世の中になった。2つに結婚を望まなくなった。

 

しかし本当にそうか。子どもが欲しくても、子どもを望む数だけ産めない現実がある。年収400万円の場合、妊娠・出産・子育てなどに年収の3分の1が必要だ。だから子どもは1人でよいことになる。

 

また生涯未婚は、男性13%、女性が6%となっているが、アンケートを分析すると、結婚を望まないのではなく、条件が許せば結婚したい、という人が大半である。

 

格差社会が広がっている。若い人がホームレスになって、ネットカフェ、公園、コンビニなどで漂流している。また若い人にはさまざまなニーズがある。就労・就学・住宅・子育てなど現場の切実な声にいままでの政治は応えてこなかった。

 

とくに、「子どもを持つ家庭の経済的支援」と「仕事と育児の両立の支援」が喫緊の課題である。経済的支援について民主党は、安心して子育てと教育ができるようにするため、月額2万6千円、中学卒業までに31万2千円の「子ども手当」を支給する。財源のねん出は効果のなかったこれまでの政策を廃止し、ムダな支出を削減することで十分可能である。

 

仕事と育児の両立支援では少子化問題を克服したフランスがよい見本である。フランスはすべての子育て世代を政府が支援する政策を展開してきた。国は「仕事よりも家族を」という国民意識の高揚につとめ、週35時間にまで労働時間を短縮させ、午後7時前には勤労者は帰宅できるようにした。また男女ともに働きやすい雇用環境や就労形態の実現をめざす労働政策が功を奏し、16年間で合計特殊出生率1.78 から 2.05までもどった。

 

民主党の「子ども手当」についてはいろいろ批判もある。しかし、この政策は福祉ではなく、日本の将来への未来投資である。すべての子どもを国が責任をもって育てるという姿勢は若い世代に安心感を与える。子育てを支援する空気が大事である。私もこの空気が欲しかったのである。

 

                           (文責 青山淳平)

 

 

 

 

 

 

 まつやまを考える会代表 渡部浩三

 

 

 

 

 

 

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医療を取り巻く今日的課題-愛媛県医師会長-

2009/10/30 06:05

 

「医療を取り巻く今日的課題」と題して講演する久野梧郎愛媛県医師会長

 

 

まつやまを考える会(第7回)卓話要旨

 

 2009年9月26日(土)

                            会場  いよてつ会館5F

 

医療を取り巻く今日的課題

 

講師 久野梧郎(愛媛県医師会長)

 

医療の課題は山積している。日本は世界に冠たる国民皆保険制度によって、費用は安く、結果は最高という誇るべき医療立国であったが、その日本の医療は崩壊の道に入りつつある。医療提供体制がほころび、大きな危機に直面しているからである。日本各地の中核的病院では医療スタッフの補充がつかず、特定の科の閉鎖や病院そのものが閉院においやられている。開業の数は足りているが、勤務の場で医師が偏在していることが危機を深刻化させている。加えて医師の絶対数でみると、日本は現在、人口10万人あたり206人で、OECD加盟諸国平均の310人を下回っている。医師の充足数は、いろいろな条件の組み合わせによって異なるが、少なくとも現時点で1万人から6万人、OECDの平均医師数と比較すれば12万人不足ともいわれている。

 

ところで、勤務の場に医師の偏在化を加速させたのは、2004年からスタートした新医師臨床研修制度に他ならない。特に地方の場合、大学から地方の病院へ医師を派遣することが難しくなった。愛媛では松山市周辺の大病院は大幅に増員となったが、地元大学からの医師派遣に頼っていた今治、新居浜、西条、宇摩各圏域、それに八幡浜、大洲、宇和島の各圏域の中規模病院群は軒並み員数減となった。県内全体の医師数の著しい減少はないが、医師の松山偏在が加速している。全国的にも医師は県庁所在地に偏在するようになった。この問題に対し、短期的な対策として日本医師会の地域医療対策委員会ではドクターバンク制度、診療科目の医師偏在の解決、研修制度の見直しなど7つの提言をしているところである。

 

また、勤務医の繁忙感が強まっている。診療外業務、教育・指導時間、医師作成文書量、患者の要望は年々増加し、外来患者も増加しつづけている。さらに診療密度の上昇、インフォームド・コンセントに要する時間が増え、その上に医療技術の複雑化と高度化によって勤務医は長時間の超過勤務を強いられているのが実状である。医療の現場に医師の偏在をもたらした新医師臨床研修制度は、こうした医療の混乱をさらに広げることになった。

 

政権与党となった民主党は医師の数を1.5倍に増やすことを目指している。同党の医療綱領では、社会保障制度の安定、予防医療の推進、医療の安心・納得・安全、国民皆保険制度の維持発展、医療提供体制の整備、診療報酬、疾患対策などの医療再生をかかげている。願ってもないことであるが、財源をどうするか、大きな問題である。アメリカ型の自由な医療システムにするか、あるいは北欧の税方式や保険方式とするか、いずれにしろ医療再生には財源が今後の議論となる。

 

  医療はアクセス、コスト、レベルの3つの要素でとらえることができる。アメリカはコストとレベルは高く、アクセスが難しい。日本の場合、アクセスは自由でコストも安いが、高度先進医療のレベルに問題がある。日本には保険制度のカベがあって先進医療がなかなか入ってこない。特定医療制度も導入されよくなってきているが、まだまだ遅れているのが現状である。これからの我が国が目指すべきは医療立国である。政治家も医療にもっと関心をもち、日本の将来にとって医療産業育成がいかに大切かを理解してもらわねばならない。                       (文責 青山淳平)

 

 

 

 

修復腎移植に対する久野梧郎・愛媛県医師会会長の見解

 

 

 2009年9月26日、松山市内で開かれた「まつやまを考える会」(渡部浩三代表、会員89人)の第7回定例会で、愛媛県医師会会長の久野梧郎先生が「医療をとりまく今日的課題」と題して講演され、医師不足の問題や新政権の医療への取り組みなどについて分かりやすくお話しされました。

 

講演の後の質疑で、NPO法人移植への理解を求める会の河野和博事務局長が、修復腎移植について久野先生の見解を聞いたのに対し、先生は「個人的な意見だが」と断ったうえで、

 

「(腎がんを含め)疾患によっては修復腎移植の推進に賛成している。国もこのことについて実験的医療をしてよろしい、と方向を変えている。前に進めることはよいことだ」

 

と述べられました。 

 

 

まつやまを考える会代表 渡部浩三 

 

各界で活躍している会員 

 

 

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現代の若者について  

2009/09/27 13:03

 

 

まつやまを考える会(第6回)卓話要旨

2009年8月22日(土)

                          会場 ワシントンホテル2F

 

現代の若者について   講師 渡邊滋夫(公営企業管理者・元愛媛県警刑事部長)

 

 「水事情を知ろう」のフォーラムが終了したあと、市長からすぐ電話があった。市長は第3の水源について、「ためにする反対」があることに頭を痛めており、フォーラムのなりゆきを心配されていたからだ。行政としても大変勉強になったし、広報・啓発の場として市民に直接アピールすることができた、と御報告申し上げた。

 私が警察学校で若者たちの教育に携わって経験し、感じていることを少し話したい。

 1つは、母親の存在が警察学校の教育に邪魔になっているケースが見られることである。

ある母親が入学式後、警察学校では新入生が車をすぐに運転することは禁止されているようだが、これでは困る。息子が車を使用するのは国民の権利ではないか、と言ってきた。警察官は一般市民よりも運転の技術・知識等が優れていなければならない。学校が認めるまで運転は禁止していると説明し、なんとか納得してもらった。また入学式のとき、息子の外泊は初めてなので心配、一緒に泊まれないかと母親が頼んできたことがある。さらに学校生活がはじまると毎日、塀越しに学校内をのぞく母親がいた。わけを聴くと、息子が学校でいじめられていないか心配だというのである。また毎晩、学校の赤電話で周囲に気づかれないよう、母親に電話をする学生がいた。事情を聴くと、母親が息子に学校の一日を逐一報告するよう求めていたのだった。母親が子離れしていないのである。夏に参観日をつくって母親を招いた。炎天下、盾をもって走る子供たちをみて、母親も変わらざるをえない。子供のほうは先に母親を離れ、すっかり大人になっている。

 2つに若者に体力がないことだ。頭がぐらぐらしていて、すぐに頬杖をつく。懸垂を一回もできない。ボール投げがだめ。これでは警察官の基本任務である警邏や立ち番ができない。警察学校ではどんどん走らせ、まず体力をつくることからはじめる。

3つに知力に欠けている。知識はあるが、人間としての知性はほとんどない。会話をしていても感じないのだ。例えば「四知(天知・地知・我知・君知)」の諺があるが、だれも知らない。徳育にかかわる知性、人間的な素養が若者に備わっていない。

4つに男性と女性のそれぞれの特性のことだ。男女が平等であることは論をまたないが、それぞれに得意分野がある。採用試験では上位はすべて女性だが、総合的な経験・判断力・洞察力等が必要な昇任試験になると逆転する。女性は鑑識などの専門的な仕事は優れている。男性は総合的な分野で能力をよく発揮する。特性に応じた社会的役割がある。

5つに、高等教育を受けても余り役に立っていないことだ。世渡りは上手だが、ずるいところがある。例えば大学卒は3Kの刑事を嫌い少年係・防犯・交通などきれいな仕事に就こうとする。人間としての器が大きくなっていないのである。(文責・青山淳平)

 

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